|
 |
TRANKIEL |
GRONINGEN-JAPAN |
|
2006年7月29日土曜日の午後4時を少し過ぎたところです。外は30度を優に越す異常な暑さが、もう長い間続いています。毎夜8時のニュースの終わりに天気予報が言い続けているように、まさしく熱波。午後のこの時間になっても、まだ多くの人が日蔭の場所を探します。Farmsum(ファームスム)にある、音楽クラブKoningin
Wilhelmina(コーニンギン・ヴィルヘルミナ)のクラブハウスの中も又、この暑さから免れません。しかしそれが、ここにいる人達の情熱、昨日から周南市とデルフザイルの交流に関わっている人達全員が抱いている気持ちを損なうことは、全くないようです。「暑さの問題」があっても、それに負けることなく、計画されたプログラムに従います。今日のプログラム:約45分間のファームスム「探索」、風車イオロスの訪問、そして自分達でオランダパンケーキを焼き、古いオランダのゲームをして遊びます。暑さが身体にこたえるのにもかかわらず、―
「探索」の間、溜息や、息をハアハアさせているのが聞こえます ― その雰囲気は素晴らしいものです。これらすべてのアクティビティの合間に、山田典夫さんとJohannes
Swart(ヨハネス・スヴァルト)さんに了承していただいたインタビューの時間があります。
山田典夫さんは、周南市からの訪問団の団長で、日々のお仕事は周南市役所企画課で国際交流を担当されています。
ヨハネス・スヴァルトさんは、音楽クラブ、コ―ニンギン・ヴィルヘルミナの会長で、姉妹都市である周南市とデルフザイルの友好の絆に強く関わっておられます。彼の日本の姉妹都市への数回の訪問は、いろいろな観点から成功していると言えるでしょう。このため、又彼がそのクラブ―
12歳の時からメンバーでした ―のために行なってきたその他多くのことのために、今年5月、彼は女王から勲章を得、「de Orde van Oranje
Nassau(オラニエ・ナッサウの勲位)」のメンバーに任命されました。
公式な関係は、まず新南陽市 ― 2003年の合併の結果、今は新しい市である周南市の1部になっています ― とデルフザイルの間に、1990年5月22日から存在しています。その日、「姉妹都市提携」が、双方の市長、藤本博吉氏とE・ハークスマン氏によって調印されました。この友好の目に見える証の一つが、ファームスムの風車イオロスのレプリカで、それは前の新南陽市、今は周南市の、永源山公園の中に建設されています。
インタビューの中でも明らかになりますが、この風車が両市間の良い関係の始まりを象徴しています。この午後、その暑さにもかかわらずその風車を訪問するのは、不思議なことではありません。
日本からの使節団団長と音楽クラブ会長との会談は、ファームスムのモーレン(風車)ストリートにある、コーニンギン・ヴィルヘルミナのクラブハウスの一室で行われました。
一つに結ばれていることを強調するため、両氏が一般的に意見を述べる、ダブル・インタビューが選ばれました。そこでは、両者への同等の内容の質問と、ここと周南市の団体それぞれの固有な事柄により多く向けられた質問が、交叉しています。
インタビュー
|
|
 |
ヨハネス・スヴァルト(J.S.)さんへ:
それは、いつ、どのように始まったのですか? あなた御自身、その最初から、ウィルヘルミナの会長として関わったのでしょうか?
J.S. : それは実際には、ここの市庁舎で、風車イオロスのレプリカが当時の新南陽市で公式にオープンされる、と発表された日に始まりました。市長のE・ハークスマン氏と自治体書記の J.スヘルテン氏が使節としてそのオープニングに参列することになっていました。
多少冗談で、我々のブーレンカペルがそのオープニングに、「Daar bij die molen」や「Tulpen uit Amsterdam」のようなオリジナルなオランダの曲で光彩を添えたらいいだろうな、と言いました。そのことは直ちに取り上げられ、私達は自前でブーレンカペルと一緒にそのオープニングに参加することになりました。それは私達にとって素晴らしい経験でした。そこの人達のもてなしや温かさに、とても感銘を受けました。私達がそれ以来、もう10年以上大切にしてきた友情をもたらしたのは、その素敵な経験です。
山田典生(N.Y.)さんへ:
あなたが、どのように、いつ、周南市とデルフザイルのこれらの交流に関わったのか、話していただけますか?
N.Y.:3年前に新南陽市が合併して周南市になりました。私は、同様に合併して周南市になった、徳山市出身です。従って、合併以降のお付き合いです。昨年から国際交流の担当になりましたので、実際には、2年間の関わりです。
J.S.へ:
最初から今まで何回の交流があったのでしょうか、又それは交代にですか?
J.S.:1995年に私達がオープニングに参加した後2年間は、訪問の話はありませんでした。しかし、1997年から、交互の毎年の訪問が始まりました。ですから、周南市から人々を迎えるのは、今手許に資料がないので確かではありませんが、私の記憶ではこれで7回目だと思います。
N.Y.へ:
周南市からここにやって来ている人達は、ここでのウィルヘルミナのように、特定のグループからの人達なのでしょうか? 又皆さんはここにだけ来られたのでしょうか、それともデルフザイルは、例えば他のヨーロッパの国も入っているより広いプログラムの一部なのでしょうか?
N.Y.:市内在住の中高生で、広報で一般公募しています。
アムステルダムで1泊しています。そしてユトレヒトでもう1泊します。
J.S.へ:
これらの交流への自治体(市)によるサポートはどうなっているのでしょうか、又、デルフザイルでそれは広い関心を持たれているのでしょうか?
J.S.:自治体はこの活動をもう何年もずっとサポートしてくれており、今もです。関わっている人達は、これらの交流、周南市との温かい友情を、心から応援してくれています。それから、デルフザイルがここ数年、その歴史の中でかなり動揺した時期を経験していることを、言っておかねばなりません。広く知られた、私達の港町の再建設があります。そして行政レベルでかなり多くの変遷がありました。しかし、それは、市長や助役達の熱意を少しも損なうことはなく、毎回私達はその応援を得ています。
現在の市長セース・ヴァール氏は、両市の間の友情に重要さを見、熱意を持って、財団・デルフザイル-周南市 を創ったらどうか、と提案してくれました。これは又、財政的見地からもはっきり有利であろう、と付け加えられました。そうです、私は自治体の行政を、全面的に信頼しています。それから、報道も関心をもってくれていますし、ウィルヘルミナ以外の人達も関心を持ってくれています。
N.Y.へ:
これらの交流活動への市によるサポートはどうなっているのでしょうか、又、周南市で、例えば報道等に広い関心があるのでしょうか?
N.Y.:市が参加者の経費の約半額を負担しており、多分これは継続されると思います。ここに来る前に、「壮行会」を行なったのですが、その時新聞やTVに来てもらいました。交流に関心のある人はとても関心を持っています。例えば、いつから公募するのか、という問い合わせもありました。しかし、そんなに関心を持たない人達もいます。ですから、広く市民の方に知らせることも、私達の仕事だと思っています。
J.S.へ:
自治体による援助に又少し戻ります。財政面
― このような交流はかなり経費が掛かるに違いありません
― での自治体の援助はあるのでしょうか? 他のスポンサーは?
J.S.:いいえ、自治体による財政援助はありません。現在までは、例えば市庁舎での歓待プラス昼食を用意してくれるというような、物での援助に限られています。スポンサーに関しては:はい、あります。私達は、とても貴重なサポートを、帝人トワロンやマウリッツ財団から受けています。そして、それはまだ「in
the pipeline(進行中)」なのですが、デラミンに代わる、アクゾからの寄付が期待出来ます。しかし、先に言ったように、もし私達が公式に財団を実現出来れば、おそらく財政面で少し容易になることでしょう。
N.Y.へ:
財政面について、というのもこれらの交流にはかなりの経費が掛かるでしょうから。市以外の他の援助も受けているのでしょうか?
スポンサーがいるのでしょうか?
N.Y.:おそらく、他のスポンサーのことも考えなければならないと思います。しかし、企業も経営が厳しい中なので、スポンサーになってもらうことは難しいと思われます。私達は又、オーストラリアの姉妹都市へも訪問団を送っており、市は同様の援助を行なっています。
J.S.へ:
周南市からの友人達がホストファミリーの家に滞在するのが伝統になっています。ここで充分なホストファミリーを得るのは、―
夏期休暇の季節であり、言葉の障壁もあると思いますが
― いつも容易なのでしょうか?
J.S.:本当にその通りです。夏期休暇の真中で、言葉の障壁も存在します。ですから、満足出来るホストファミリーを得ることが、いつも易しいとは限りません。しかし、いつもうまくいっています。ここの人達は、ゲストを二人迎えたいと考えるので、私達にとってはより容易になります。オランダ人は、ゲストが二人の方が、より楽しく過ごせると思っています。私は、周南市からのゲスト達自身は、一家族に一名の方を好んでいると理解しています。それは又、周南市の人々が実際に実践していることです。それはとてもうまくいっている、と言わなければなりません。しかし、先に触れたように、ここの人達は、二人の方を好んでいます。私達はこの点で違っています。昨年私達が日本を訪問した時は、ヴィルヘルミナ以外の子供達も連れて行きました。学校の生徒達です。そして今私達が、学校に関係するホストファミリーを得られていることを、とても嬉しく思っています。それは、私達のこの交流活動が、ヴィルヘルミナ以外でも存在することを示しています。従って、財団の創立を考えることは価値のあること、と考えています。
N.Y.へ:
今ここに来ている訪問団の構成について、又彼等はホストファミリーの家にステイすることを歓迎しているのでしょうか?
言葉の問題はないのでしょうか?
N.Y.:中1から高3まで、12歳から18歳までの14名で、女子が12名、男子が2名です。ここに来る前に4回ほど説明会を開き、生活様式等について説明しました。しかし、ほとんどの子供達にとってこのホームステイは初めての経験なので、不安だっただろうと思います。しかし今朝、昨夜ホストファミリーの家で過ごした彼等の顔を見て、元気そうだったので安心しました。言葉の問題ですか? ホストファミリーが言っていることが分からない、ということがあったようです。何を言っているのか分からない、又言いたいことが言えないというフラストレーションがあると思います。
J.S.へ:
ヴィルヘルミナの中にこれらの交流のためだけの特別な委員会はあるのでしょうか?
J.S.:いいえ、特別な委員会はありません。それは執行委員で、ですから、会長、書記、会計の3名で扱っています。又私達のクラブの中に、5名で構成されているアクティビティ委員会があり、そこでプログラムを作成・実行しています。
N.Y.へ:
周南市に、これらの交流のためだけの特別な委員会があるのでしょうか?
N.Y.(笑って):すべて私のセクションでやっていて、私一人だけです!
J.S.へ:
ヴィルヘルミナとして、あなた方の間で、交流の他の形態への関心があるのでしょうか? 又「新しいアイデア」に向けて何かされているのでしょうか?
J.S.:今の時点では、新しいアイデアはありません。もちろん、周南市との交流の他にも、定期的な演奏以外に、まだ他の活動も行なっています。デルフザイルも属している、ヨーロッパの市連盟の中での交流もあります。私達は例えば、ベルギーの音楽クラブをここにゲストとして迎え、彼等と合同演奏しました。また、エームス・ドラルド地域での活動も行なっており、その中で、ドイツの合唱団の伴奏もしました。
N.Y.へ:
今既に存在するデルフザイルとの交流活動を、更に拡大していきたいと考えていますか? 将来の、他の形態の交流や、より頻繁な交流に向けて、何かされているのでしょうか?
N.Y.:もちろん、これらの交流を広げていきたいと思っています。今は、子供達の行き来が主になっていますが、他の分野での交流もできるようになれば良いと思います。ただ人の行き来だけでなく、例えば、子供達の作品を交換する等です。スポーツや文化等の分野での交流できれば、又素晴らしいと思います。子供達が学校で描いた絵を交換して公開展示すれば、市民の皆さんに関心を持ってもらえるでしょうし、作品やビデオなどを送るのは、そんなに費用をかけずに出来ます。そして今は、インターネットやホームページもありますから、どこでも交流が出来ます。そのような方向に進んで行けば良いと思います。
市が全てを行なうのではなく、グループ(例えば学校)自身が互いに交流してくれるのが一番良い、と思っています。学校と学校、文化グループと文化グループ、スポーツのグループとスポーツのグループ等が、彼等自身でもっと交流してくれると素晴らしいです。
私のセクションは私一人なので、そんなに促進出来ていません。時間がかかるかもしれません。
J.S.へ:
あなたは、将来、交流を拡大させることを考えていますか? もっと頻繁に行なうとか?
J.S.:私達がそれを歓迎することは、確かです。しかし、どれだけ私達の時間が使えるかということも考えに入れておかねばなりません。それが楽しみを台無しにしてしまうかもしれません。例を挙げます。私達が、2001年に、山口音楽フェスティバルで公演した時、長崎のハウステンボスから公演を依頼されました。それはしかし、期間が7週間というものでした。残念ですが.....
私達がそんなに多くの休暇を、それぞれ職場のボスから得ることは出来ません。それで、NOと言わなければならなかったのが、本当にとても残念でした。
私は言いたい。拡大、イエス! 頻繁な交流、イエス! 使える時間や財政面でも実現可能であれば。
N.Y.へ:
周南市に、ここのヴィルヘルミナと同等の音楽クラブがあるのでしょうか? 音楽クラブ間の交流、周南市やここデルフザイルで一緒に行なう演奏行進の可能性についてはどう考えますか?
N.Y.:周南市には2~3の吹奏楽団ありますが、彼等がヴィルヘルミナのような力量で交流活動を行なうのは難しいと思います。市が行なう代わりに、人々自身によって交流活動を活発に行なってもらい、プログラムも民間の団体が作るようになってほしいと思っています。
私は今、この音楽クラブについて勉強中です。ヴィルヘルミナを、吹奏楽団あるいはもう一つのオーケストラに紹介することは出来ます。その後は、彼等自身がウィルヘルミナとコンタクトをとってほしいと思います。演奏の交流ができるまでになったら、本当に素晴らしいと思います。
子供達のこの交流は、市の援助で行なうことが出来ています。しかし、様々な交流の全てを財政的に援助してもらうのは難しいので、市の援助がなくても出来る交流の形態も創っていかなければならないと考えています。人の行き来は目に見えるので、経費の問題がクリア出来れば進めていくことが出来ます。しかし、他の方向も考えていかなければならないと思います。
スポーツ ― 例えばサッカー等 ― も両市間の交流の一部として考えられます。実現出来ればとても素晴らしいと思います。周南市にもサッカーの連盟や連合があるので、もし彼等がこの種の交流を取り上げるなら、それが一番良いと思います。このような思いはいっぱいあるのですが、どのように実現するかは、とても難しいです。
J.S.に:
周南市にヴィルヘルミナと同様の音楽クラブがありますか? 彼等をここに招いて、一緒に演奏や行進をしたいと思いますか?
J.S.:とても、とても、喜んで。私自身、もう既に何度か問い合わせたのですが、私の理解では、彼等はそのような音楽クラブを知らないようでした。特に、私達のマレットバンド[注]全部と一緒に周南市に行きたいと思います。マレットバンドを見たり聞いたりすれば、人々は皆家から出て来ると確信しています。私達がオランダのチャンピオンであることには、理由があります!
残念ですが、運搬の、又財政的な可能性は現実的なものではない、と付け加えておかなければなりません。持参しなければならない楽器のことを、ちょっと考えてみてください。12名からなるブーレンカペルが、彼等の楽器を簡単に持って行けたようなわけにはいきません。
しかし、もし可能であることが明らかになれば、すぐに:周南市さん、私達はやって来ました!
[トランキール注:1950年/60年代に始まったジャンルで、ドラムの他、鍵盤打楽器(シロホン、マリンバ、マーチングベル)が加わったブラスバンド。]
N.Y.へ:
次の交流はいつですか?
N.Y.:来年、ここからの子供達を私達の市に迎えます。
J.S.へ:
次の交流はいつですか?
J.S.:この時点では、はっきり言えません。確かなことは、いずれにせよ、これが最後ではないということです。
|
 |
|
|
いつの日か、周南市の皆さんにも楽しんでいただける???
( photo copyright : Johannes Doornbos )
|
|

© 2006 Trankiel
|
|
|
|