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芸術・文化


交流

Dolf van Graas
佐川から


フローニンゲン と 日本 - No3


交 流

デルフザイルー周南市

 1990年5月22日からの周南市とデルフザイルの間の姉妹都市関係には、両市の青年達が大きく関わっています。それは、ファームスムにある音楽クラブ、コーニンギン・ヴィルヘルミナのブーレンカペル(農民音楽隊)が日本の姉妹都市であった新南陽市(その後合併して周南市になる)へ1995年に行ったことから生れたことの一つです。特にこのクラブの会長、ヨハネス・スヴァルト氏は、この青年の交流に尽力し、既に何度もお互いに訪問し合っています。
 2007年7月23日にデルフザイルを出発した一行は、1週間周南市のホストファミリーで滞在する男子4名女子5名で構成されていました。彼らのためのプログラムは、日本文化が考慮されたもので、異なった生活様式を知る最良の機会として、ホストファミリーでの滞在も含まれています。
 最後の日は広島を訪問しました。音楽クラブのサイトに、すぐ次のようなレポートが載せられました。
 広島ホテルでの素敵な昼食の後、歩いて広島平和記念資料館へ行きました。「資料館への訪問はとても心を打つもので、多くの者が更に考え始めました。」

 私たちはその中の二人の若者と話します。


ロバート・ボッシャー

 最後の日の前日、僕らは広島に行った。これまでに見た最も美しい市の写真が載っている小さなパンフレットを、僕たちはもらった。親しく、快活で、とてもオープンな魅力! 僕らは陽気だった。もちろん、どうして僕らがそこに行こうとしているのかは、知っていた。だけど、他の戦争資料館よりずっと印象的だということはあり得ないでしょう?
 最初のモニュメント、当時から残っているたった一つの建物が、その意見を覆し始めていた。だけど、こんなの僕らはこれまでに他所でも見たことがあった。しかし、資料館の中で、他と変わらないという考えはなくなってしまった。ホール1では、戦前どのように市が発展していたか、どのように人々が生活し、どのようにこの全てが一つの爆弾によって突然終わってしまったか、が語られていた。皆全く信じられない気持ちでそこをまわった。
 資料館の残りは長い廊下で、個人の物語りと写真が展示されていた。その多くの個人的な苦しみを、ほとんど感じることができた。死者のすべて、苦しみのすべて。まだなお続いている苦しみのすべて...
 僕が最も心を打たれたのは佐々木禎子の物語。彼女が2歳の時原爆が落とされ、その時からの彼女の生活が描かれている。元気な幼児期から学校でのスポーツ選手としての活躍まで。彼女が12歳になって、白血病が発見された。言い伝えによれば、千羽の鶴を折れば願いが叶う。彼女は病床でとてもたくさんの鶴を折った。そのすべてに、よくなりたいという願いを込めて。それは役に立たず、8ヵ月後に彼女は12歳で亡くなった... 彼女の死は,「原爆の子の像」を建てるきっかけとなった。その像は、一人の人と一羽の鶴を表している。毎年たくさんの千羽鶴がこの像へ送られている。
 それは、確かに楽しい訪問ではなかった。だけど、資料館を見て、こんなに良かったと思ったことは、これまでなかった。本当に、この地球の住民の皆によって、一度は訪問されなければならない資料館。ここでは、原子爆弾や他の爆撃が処罰しているのは、その国家やその指導者達でなく、人々、僕らとちっとも変わりのないごく普通の人々だということが、明らかになっている。

「ふたたび、原爆によって子どもたちが犠牲(ぎせい)になることのないように」


ヤネミーケ・ファン・デル・ヴァール

 着物を着ての写真撮影の後は、お茶会の時間でした。私はとても多くの人達からこれについて聞いていて、私の結論は前もって既に:美味しくない。試した後も意見は変わりませんでした。本当に美味しくありませんでした!
 着物を着て2時間買い物をした後、サンフェスティバルに参加しました。ここでも、姉の日本人の友人に会いました。それはとても愉快な出会いでした。
 その日の終りに、もう一つのホストファミリーの家に向いました!
 私は日曜日、この家族と釣りに行きました。それから、私達はいくつかの寺院を訪れました。とても綺麗でした。



>>デルフザイルの中の日本 Ⅰ

>>デルフザイルの中の日本 Ⅱ







Dolf van Graas(ドルフ・ファン・フラース)- 佐川から

 ドルフ・ファン・フラースは日本に魅せられ、まずその国を度々旅行し、数多くの貴重な経験を得ました。オランダ、フローニンゲン州、テル・アペルの元住人である彼自身が、これについて次のように書いています。

 「1982年、私は本がいっぱい入った重いリュックサックを担いで、日本を知るため自分の足で歩く、長くてゆっくりとした旅行を始めました。そこに住むことや日本人と結婚することは、全く想像したことがありませんでした。」

>>ドルフ・ファン・フラースのページ 目次へ

ドルフさんと文香さんの佐川(高知県)の家








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