RTV-ノールド
ロブ・ファン・ダムの番組『Dam Op』
新聞・雑誌等
より
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<メディアセンター> |
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特別のことがなければ、我が家の朝はいつもほとんど同じように過ぎていきます。コーヒーを入れ、ラジオをつけ、書類があちこちに置かれたテーブルの前に座って「トランキール」の仕事をしています。コーヒーは強いブラックを飲むと言うほか何も言うことはありません。どんなことをしているかは説明する必要はないでしょう。ラジオ・ノードを聞いているのですが、これも意外なことではないでしょう。毎朝6時~9時の番組『Van
zes tot Noord(6時から北まで)』は幅広いニュースを知らせます。週末の朝、特に二つの番組が、地方の言葉で放送します。土曜は、デルク・ボッシャーとマルセル・ニューウェンヴェヒが司会する『De
Noorderrondrit(北巡り)』。これは村の文化センターでもあるカフェから放送されます。 ラジオ・ノード自身が「Gezelligheid(心地良さ)とケーキ付きコーヒー」という言葉で表現している番組です。
日曜朝の大部分は、人気の番組『Noordmannen(北の男たち)』です。この番組は現場から放送されるもので、プレゼンテーターのオキー・スミットとアーレクス・フィッセリングが、フローニンゲンの多くの事を紹介します。今日、彼らは音楽一家の客としてフロームボシュ(スロホテレン自治体の村)にいます。リンゼ・ファン・デル・バーンはノード・ネーデルラント・オーケストのフルート奏者。彼の妻ティネケ・アベレンは音楽学校オースト・フローニンゲンの校長でウィンスホーステンにある劇場デ・クリンカーの支配人、フルートも奏します。そして彼らの子供たち、これも音楽家のアネとクーンラート。
この番組の決まったコラムとして、シンガー・ソングライターのアーレクス・フィセリングの「Vissering's Visie(フィセリングの視点)」があります。クーン・ハイデマがフロームボシュ誕生の歴史について話します。植物や動物のことが話され、続いてお天気おじさんピート・パウルスマが天気予報をします。とてもバラエティに富んだ番組ですが、今朝特に興味を持ったのは、アカデミー・ミネルバの教員でフジ・アート・アソシエーション(注)からやってきた、ツルーディ・クラーマーさんとの会話です。
このページでラジオ・ノードの他の番組についてお話できないのが残念ですが、興味をもたれたら、RTVノールドのウェッブサイト(オランダ語)へどうぞ。そのサイトでは、オランダで二番目に古いこの地方放送局の、その豊かな歴史の概略が載せられています。
1945年5月のことです。ハイス・スタパースフーフ氏とヤン・ポストフームス氏は、フローニンゲンの軍事権力に、ラジオ放送を始め地方放送局の基盤とする必要を納得させます。まだRON(北部地方放送)という名前でしたが、1946年の夏に放送が開始され、1年後には、NOS(オランダ放送協会)の前身であるNRU(オランダラジオ連合)に加入します。
フローニンゲン州、ドレンテ州とフリースラント州のRONは、1959年にオーフェルエイセル州、1965年にヘルデルラント州が加わった後、RONO(北東部地方放送)となりました。これは1977年から1989年の間に分裂が起こり、その結果各州がそれぞれ地方局を持つようになり、1987年にそれらの局はNOSから離れます。
6年後に地方テレビ局が始まり、ラジオ・ノールドはRTVノールドと改名します。その後、急速な発展が続きます。1998年5月、自身のウェブサイトを持つようになり、そこではラジオやテレビの番組についての幅広い情報だけでなく、例えばフローニンゲン州の美しさを多くの写真コレクション(Groningen in Beeld)で紹介しています。
1955年にこの地方放送は現代的な事業となり、オランダで最良の地方公共ラジオ、最良の地方公共テレビとして21世紀を迎え、祝われました。
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<プリンセンホフと旧RTVノールドの建物> |
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そこには又、泣いたり笑ったりもありました。フローニンゲン市のマルティニケルクホフに接するプリンセンホフの心落ち着く古い建物に別れを告げ、ユーロッパパークのメディアセンター(先のヘルプマンセンター)への引越ししたことも、その一つです。
1955年に、この地方放送は現代的な事業へと成長し、オランダで最良の地方公共ラジオ、最良の地方公共テレビとして21世紀を迎えました。お祝いのパーティに充分な理由です。その5年後、とてもエモーショナルな出来事がありました。フローニンゲン市のマルティニケルクホフに接した心落ち着くプリンセスホフの古い建物と別れを告げて、ユーロッパパークのメデイアセンター(先のヘルプマンセンター)への引越しです。
「フローニンゲンを見聞き出来るRTVノールド」というスローガンは、今日ではインターネットを通じて世界中でその価値が試されています。
どれほど時代と共に歩んでいるかは、RTVノールドがユーチューブやHyves(ハイフス)(オランダのソーシャルネットワーキング)でも見ることが出来るということからも明らかです。
(注)フジ・アート・アソシエーションはフローニンゲンの画家たちの第三世代。
ヘンク・ヘルマンテル、ヴァウト・ムラー、マタイス・ローリングなど。
メディアセンターとプリンセンホフの写真:レンス・ファンストラーレン
RTVノールド毎年の「すべて50のゴールド」のリストで
いつもトップを占めるフローニンゲン語で歌う歌手4人です。
Ede Staal
Erwin de Vries
Wia Buze
Alex Vissering
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| ダムステルディープ沿い の ハレルスヴェールへの道 |
TVノールドと一緒に フローニンゲン州の中へ
Rob van Dam(ロブ・ファン・ダム)の番組 『 Dam Op 』 |
ラジオやテレビの世界で、ロブ・ファン・ダムは多芸多才の人としてよく知られています。彼は「Dam Op」という名前のTV番組の中心人物で、それは2月11日に始まり、TVノールドで毎週水曜の夜に見ることが出来ます。
ロブは、いつもカメラマンのヨーディ・ブラウワーを同行し、村の雰囲気を探り、それによって番組作成の方法を選びます。放送毎に一つの村を訪れます。
フローニンゲン州独特の村々の映像を、私たちは思う存分楽しむことが出来ます。
番組の初回はミドヴォルダからで、今までに、アウトハウゼンメーデン、ニーホーヴェ、ノードラーレン、ハレルスヴェールと続いています。その全てが正に至宝です。
私たちが何かの事情で放送を見損なった場合は、RTVノールドのサイトのウィンドウズ・メディアストリームでも見ることが出来ます。
消息通の話では、プレゼンテーターでプロデューサーのロブ・ファン・ダムは、オランダで最も美しいラジオの声の持ち主の一人だそうです。彼はフローニンゲン市生まれで、1998年にその故郷に戻って来る前は、ヒルヴェルスムで仕事をしていました。RTLでは、とりわけ「Ontbijtshow(朝食ショー)」「RTLニュース」「Film & Video」の番組で司会をしていました。
彼はラジオでのキャリアを、この仕事での他の多くの人たちと同じように、マルク・ヤーコブスの名前で、海賊放送局 の「Mi Amigo」と「Radio Caroline」で‘海賊’として、始めました。しかし、80年代に一度ラジオ・ノードで仕事をした時は再び本名で、「Goeiemorgen(おはよう)」「Verzoekplaat(リクエストレコード)」「de Ethermarkt(放送広場)」のような様々な番組を司会しました。
これは彼にとって、ある種の中継ぎであったことは明らかで、彼は再び西部へ、RTLへ向かいました。しかし、慣れ親しんだフローニンゲンの魅力はより強く、彼は又そこに戻りました。
ロブは今なお、ノールドの番組、例えば日曜午後1時ちょうどから6時までの「Bie van Dam」を司会しています。それは、世に知れた60年代70年代への音楽の旅で、The
Ro-d-ys、Cuby & The Blizzards、Golden Earring、Beatles や Stones のようなスターたちの音楽と、歴史のその時代のあらゆる興味深い事柄とを、交互にした番組です。
彼の朗々とした声は、その他様々なRTVノールドの人気番組で聞くことが出来ます。ロブに、何が22歳の彼をラジオの仕事に惹きつけたのか、又その前にもうフローニンゲン市でディスクジョッキーの仕事をしていたのかどうか、尋ねます。
ロブ:
「HBS(オランダのかつての中等教育の一つ)で学んだ後、アメリカに行きました。そこで1年間、ヴァ-ミリオンにあるサウスダコタ大学で、マスコミュニケーション、ラジオやTVの授業を受けました。
大学の放送局でも『There's A Whole In The Sky』という名前の自分のラジオ番組を持っていました。
それから、1973年から私の故郷フローニンゲンでダンスのデスクジョッキーとして働いていました。名前をいくつか挙げれば、「Blow Up」や「C'est
Ca」でです。これは、神学の勉強のための学資を貯めようと思っていたからですが、それは未だに実現していません!
それを学ぶ代わりに、本当のところ冗談で、1976年に録音テープをラジオMi Amigo に送ったところ、彼らから Playa de Aro(スペイン)行きの飛行機のチケットを貰い、そこにあるスタジオに行きました。
放送は、イングランド沿岸にいる放送のための発動機船「Mi Amigo」から行われていました。
この船から4年間、ラジオ・Mi Amigo と ラジオ・Caroline のために番組を作りました。」
‐それは昔のことです。あなたの新しい番組『Dam Op』について話しましょう。なぜこの形が選ばれ、又そのタイトルはどのようにして付けられたのでしょうか?
ロブ:
「私はずっと田舎に行きたいと思っていました。ここには、フローニンゲンの素晴らしい村々があります。今この21世紀に、それらがどのようにしているのか見るべき時だと思いました。
番組の名前は、私の同僚 ミヒール・ホーヘンブーゼムのアイデアです。」
‐あなた方はかなりの間続けることが出来るでしょう。。あなた自身も話されているように、ここにはたくさんの素晴らしい村々があります。何回の放送になるか、もう見当をつけられているのでしょうか?
ロブ:
「いいえ、それについてはまだ何も考えていません。これらがどうなるかを、まず見てみます。」
‐フローニンゲンの土地の何が、あなたを個人的に惹きつけるのでしょうか ...
ロブ:
「そうですね、くつろぎを求める人たちはよく遠くのリゾート地を考えますが、ここで、家の近くで発見の旅をすれば、この地の美しさやここの人たちの親切に本当にびっくりします。私たちは、オランダの中のそのように美しい所に住んでいます。」
‐フローニンゲンについて、何か他に期待したり、そこで出来ることはありますか?
ロブ:
「この番組を作ることが、もう素晴らしい。そこから何かが、まだ先に出てくるかもしれません。私は、先のことをそんなに考えることはしません。そうでないと、今日の美しさを見過ごしてしまいます。」
‐最後に、このとても素敵に制作された興味深い番組に責任あるチームは、どのような人たちで作られているのでしょうか?
ロブ:
「マリオン・デ・フリースが率いる制作事務所が内部にあり、そこで私は一緒に準備を楽しんでいます。それから、いつも一緒のカメラマン、ヨーディ・ブラウワーがいます。彼は素晴らしい写真を撮影します!」
ロブ・ファン・ダムの写真提供:RTV Noord ©

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