Trankiel  Groningen - Japan
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どこに鐘の舌が吊るされているのか知らないが
鐘の音がよく聞こえる。 

  ダヴィット・ストローバント
現代美術を考えさせる展覧会

『Circle of Trust』-Folkert de Jong(フォルケルト・デ・ヨング)
 
 木々がゆっくりですが確かにその装いを脱ぎ、日ごと通行人に裸の姿を見せ始めています。秋が到来し、暖かい上着が箪笥の奥から出されました。灰色の空から絶え間なく落ちてくる雨の中傘をさして、駅から少し離れたフローニンゲン美術館へと歩きます。暖かい美術館を訪れさせるのは、この秋雨でしょうか? まだ朝早いこんな時間でも、当たり前のように多くの人が来ています。美術館は数分前にやっとドアが開かれたばかりです。
 
 最初に同時開催の、美術館コレクションからの80年代絵画展を見ます。国際的な美術の世界では当時、厳格で実験的なミニマルアートやコンセプチュアルアートのような潮流が持て囃された後、これらの絵画に新しい大きな関心が持たれていました。フローニンゲン美術館も遅れることなく、この「新しい絵画」を大規模に購入しました。美術館のサイトに、エルベ・ディ・ローザ、ロニ-・カトローン、コンバ、ミラン・クンチなどの作品が展示されていることが書かれています。
 展覧会『Schilderkunst uit de jaren 80(80年代の絵画)』展は2009年11月22日まで開かれています。
 
 それから、主としてそのためにやって来た、フォルケルト・デ・ヨングの現代彫刻作品とこれまで展示されたことのないデッサンを集めた『Circle of Trust(信頼の環)』展を見に行きます。
いつものように、今回も広範な資料が用意されています。愛好家には、出版社Black Cat とフローニンゲン美術館が出版した『Folkert de Jong – Circle of Trust – Verzamelde werken(作品集) 2001-2009』という本を推薦します。
 
 
 デ・ヨングの才能が勢いを見せ始めた2001年、既に彼の作品は展覧会『Stroomversnelling(急流)』で見られました。そして今、20点以上の彫刻とデッサンを集めた彼の最初の大きな個展が開かれています。
 彼は1972年にエフモント・アアン・ゼー(北ホラント州)で生まれ、リートフェルト・アカデミーで学んだ後アムステルダムの港地区に住居を定めました。デ・ヨングついて、美術館は次のように述べています。「彼の作品には2001年以来、省察の深まりと、造形作家としての姿勢に対する意識の増大が、息づいています。」
 成功がやって来ました。2003年、彼は『Life's Illusions』でローマ賞基本賞を獲得しました。
 
『Life's Illusions』
 
 それは一見したところ、等身大のスチロール樹脂彫刻の不思議な世界です。異様な人物たち、混乱したとても奇妙な場面。
 この発泡スチロールやポリウレタンのような化学製品の使用は、そんなに目立ったものではありません。ハリウッドの映画会社も、幻影の創造にこの材料をよく使っています。それに、私たち自身も発泡スチロールで何かを作ったことがあるのではないでしょうか?
 フォルケルト・デ・ヨングの手法については、フローニンゲン美術館の「マガジン02」に現代美術の学芸員スーアン・ファン・デル・ザイプによって書かれた記事で、もう少し詳しく知ることが出来ます。
 彼は錬金術師のように、まず2種の化学成分を混ぜ合わせ、どんな形にも出来る不定形の原液として、液状のポリウレタンを作ります。これをデ・ヨングが前もって作った型に注いだ後、固まる間に、その合成物質は膨張し、それ自身の力でその型を押します。その形のない材料が意味を生じる創造的な過程で、彼は芸術家として、(歴史的な)現実に近づき、形を与えます。解説やコメントを付けることなく、現実が不協和音を奏で無意味であり続けていることを、見る人たちに語っているようにみえます。そうである事柄に意味を与えることは、見る人に任されています。
 
『Last Boogie Woogie』
 
 デ・ヨング自身が美術史をどのように見ているかは、『Last Boogie Woogie』(2007年)から明らかになります。彼はその作品で、1997年に Nederlandse Stichting Nationaal Fonds Kunstbezit(オランダ美術資産ナショナルファンド協会) が8200万ギルダーも費やして購入した、ピート・モンドリアンの『Victory Boogie Woogie』を捩っています。オランダの人々は今でもその大騒ぎを覚えています。
 2006年に制作された『The Sculptor, The Devil and The Architect』では、建築家のル・コルビュジエと彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシの隣に、悪魔としてのデ・ヨング自身を見ます。最新流行のサングラスとスカーフをつけた巨大な女性の頭は、芸術の擁護者ペギー・グッゲンハイムを表しています。まだ何か付け加えることがあるでしょうか?
 
 『The Sculptor, The Devil and the Architect』 『Peggy Guggenheim』
 
 フォルケルト・デ・ヨングは『The Iceman Cometh』で社会的な成功を獲得しました。これは、6人の負傷した兵士たちを表した反戦作品です。ピストルを手にし、ウサギの耳を持った前かがみの人物が、指揮しています。彼の誇り高い生殖器が突っ立っているのが、目立っています。セックスと暴力 ...
 デ・ヨングのこの作品は、オットー・ディックス(1891-1969)のような表現主義者たちからインスピレーションを得ています。ディックス自身、第一次世界大戦中フランドルの塹壕で戦い、その期間の自画像でその芸術世界が豊かなりました。
 彼は志願兵として地獄のように悲惨な状況で戦ったのですが、彼の作品はナチスによって「退廃芸術」と烙印を押され、ヒットラー政権によって愛するドレスデンの美術アカデミー教授の職を追われました。
 
『The Iceman Cometh』
 
 ディックスと同じように、フォルケルト・デ・ヨングも明るい色を使い、その作品の中には陽気な要素が見られます。そのカーニバルのような調子は、見る者に、その残忍さを受け取りやすくしています。何故なら、デ・ヨングが彼の彫刻で表しているのは、素晴らしい世界ではないからです。見る者は、暴力や権力、苦難と直面させられます。手足が切断された兵士たちの横の首を刎ねられた男たち、放浪者、手斧やディルドを振り回す女の像を見てください。
 彼の世界の形成には、ベンジャミン・フランクリンやヤン・ピーテルスゾーン・クーン、十字架に架けられたジーザスのような歴史的な人物の肖像によっても、インスピレーションを得ています。
 
『The Great Smoker』
 
 コープ・ヒンメルブラウ・パビリオンでは、デ・ヨングがフローニンゲン美術館のために特別に制作した三つの部分からなる作品『Infinite Silence, the way things are and how they become things』が見られます。このキー作品の中でも、現在と過去から多くのテーマが浮かび上ってきます。スペインのコンキスタドールたち、アメリカの南北戦争や、ボスニアでの戦争のような最近の出来事。この他にも自国(オランダ)の歴史からも、様々な色の像が、歴史のより多くの見地を表現しています。
 
『Infinite Silence, the way things are and how they become things』
 
 デ・ヨングは、アメリカの南北戦争や、奴隷制度-オランダはこれに大きく関わっていました-の廃止に決定的な役割を演じた、アブラハム・リンカーンに引きつけられ、歴史の進行が一個人の選択によって実際どの程度決定され得るか、と自身に問いかけました。それとも、いろいろな事柄の同時発生だけが変化を導くのだろうか?
 一つ目の部分は、これも型に入れて作られた4つの荷運び台の上の、積み重ねられた鐘です。これには、自身の故郷にある教会の鐘のレプリカを使いました。それは、第二次世界大戦中ドイツの占領によって溶かされなかった、数少ない鐘の一つです。
 二つめの部分は、年配で威厳のある、お互いがそっくりの5人の紳士たちからなる作品です。彼らは、ダブルの打ち合わせのコートに蝶ネクタイとトップハットという19世紀の服装で、シャムの5つ子のようにくっついて立っています。彼らの頭はエイブラハム・リンカーン(1809-1865)と分かるもので、写真や印刷物で知られている彼の姿です。その像は不自然な強烈な色で仕上げられています。外側の像のみに腕がつけられ、向かって左側の像の手は、リンカーンが流行らせたトップハットをしっかりと持っています。向かって右側の灰色の像の腕には喪章が巻かれ、その人差し指は地面を、「今、ここで」を、示しているように見えます。4つの大きな車輪が彼らの間に押し込まれています。彼らの足元に固まっている水たまりは、ちょうど鐘と荷運び台のように、それが液状のポリウレタンから作られたことをはっきりと示しています。
 三つめの部分は、材料自体に対するある種の敬意のように思われます。それで何かを創るために、そこに置かれているかのように。
 
 
 デ・ヨングは、歴史の複雑さと共に、その歴史の柔軟さも示しています。真実の物語は何を語り、事実は何を物語っているのでしょうか? そして私たちは「善悪」をどのように判断すべきなのでしょうか? 実際、歴史的な現実は時々窮地に陥り、それは世界を支配している政治的な力の均衡について、より多くを語っています。
 美術館マガジンには、「例えばアメリカ合衆国の第16代大統領は重要な人物として、奴隷制度の廃止は良いこととして、本に載っていることや、ドイツが'戦争'で敵であったことは、すぐに又、南北戦争や第二次世界大戦のそれぞれにおいて、誰が勝利者で誰が敗北者であったのかについても何かを語っています。」と書かれています。
 
 これらの言葉は長い議論を導きます。戦争の後、勝利者と敗北者について話すことが出来るのでしょうか?
 実際問題として、歴史の本は何を戦争犯罪として取り上げなければならないのでしょうか?
 オットー・ディックスのことを考えていると、ドレスデンで起こった、その一日で約2万5千人が命を失くした恐ろしい爆撃を、思い出します。
 日本の都市への忌まわしい爆撃全ての頂点には、今までの最初で唯一の核兵器使用による、30万人の命が奪われた、広島と長崎の地獄絵図が存在します。
 
 美術館を出ると雨は止んでおり、灰色の雲の間から、ちょうどこの時、日が照り始めました。急ぎ足で行く人たちも、その瞬間、少し幸せそうな様子になったようには見えませんか? 明るい色に出来ることは何でしょう ...
 
 
>>フローニンゲン美術館(英語)
 
>>『Circle of Trust』展の写真集
 
>>『80年代の絵画』展の写真集
 
 
 



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