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  RUN Winschoten に 国際的トップが集まる

2011年9月10日(土)に第36回を開催
 
 Winschoten(ヴィンスホーテン)での金曜夜の国旗パレードは、このランニングイベントが何年もの間にどんなに発展してきたかを示しています。今までに、100km には男子269名、女子95名が参加を申し込んでいます。世界チャンピオンシップと同様、ヨーロッパチャンピオンシップ、オランダチャンピオンシップがかかった競技です。このウルトラランナー達の大きなグループが、世界の35カ国から代表選手を集めているのですが、この他にも3つの距離の競技が戦われます。その全部を合わせると、今年の第36回 RUN Winschoten の参加者は、3041名です。
 
 午前9時、D.U.Stikkerlaan 氏が、7歳から15歳までの少年少女の競技をスタートさせます。その後午前10時に、IAU(国際ウルトラランナーズ協会)の創設者 Malcolm Campbell 氏によって 100km のスタートの合図が放たれます。15分後 50km の走者がスタート、更に15分後には最後の 10×10km リレーの第一走者がスタートします。
 
 
 
日本の小隊 Jose Gonzales をアタック
 
 1975年、地方の陸上競技クラブ Aquilo の当時の理事会は、貧弱な施設を何とかしたいと思い、どうしたら人々に関心をもってもらえるか考えました。熟慮の末、理事のメンバーたちは 100km 競技が実現出来るのではないかという結論に達しました。その年、Theo de Winter 団長率いる訪問団が、その距離の競技が世界で一番早く行われたスイスのビール/ビエンヌ市へ出発しました。理事会はたちまちこの競技に魅せられ、一度で良いから、彼らのヴィンスホーテンでも、このような魅力ある競技を開催しよう,と決心しました。その名前には「RUN」が選ばれました。フローニンゲンの人たちの性格によく合った、簡潔で力強い名前です。そして、1976年9月25日が競技の日と決められました。
 その記念すべき日には、大きな 100km の一周コースを走るウルトラランナーたちが 100名 集まりました。
 それは大成功でした。終了後、情熱に燃えた選手たちは、RUN を毎年開催するべきと理事会を説得します。これは受け入れられましたが、「言うは易し、行うは難し」。数年後には、小さな陸上競技クラブに多くを求めすぎであることが、誰の目にも明らかになってきます。RUN 協会が設立され、競技の開催が引き継がれます。
 最初の3年間は大きな一周コースで行われましたが、その後 50kmコース の2周に取って代わられます。それも長くは続かず、25kmコース を4周へ、それから 20kmコース を5周へと変わります。しかし、これらの変更も、協会の期待したような結果はもたらしませんでした。何故なら、とても素晴らしいスタートを切ったイベントだったのですが、選手たちにも観衆にもだんだん人気がなくなってきていましたから。その凋落ぶりを見、1990年に Harm Noor 会長が指揮する Aquilo は、今自分たちが何かしなければ、と考えます。
 
 Stichting Ultraloop Winschoten(STUW : ウルトラランニング・ヴィンスホーテン協会)が設立され、その年には又、全く新しい方法が採られました。新しい協会は、RUN が観衆により魅力的なものになるよう、ヴィンスホーテンの中心街を通る 10km のコース を準備することを決めます。この考えが正しかったことは、その年直ちに明らかになります。その成功は実に大きなものでした。それに関しては疑いなく、ロシアの優勝者 Konstantin Santalov が挙げられます。彼の 6時間26分10秒 「世界新」は、IAAF(国際陸連)公認のロードレース世界記録でした。
 協会は1992年、ヨーロッパチャンピオンシップを開催。他のチャンピオンシップもそれに続きます。そして新たに「世界新」がヴィンスホーテンで生まれます。ベルギーの Jean-Paul Praet が 100km を 6時間16分41秒 で走り、それは今も、このコースでの新記録を保っています。
 1995年に開催された 第9回 IAU ワールドチャレンジ で、この風車の町ヴィンスホーテンは3万人以上の観客を集めました。男子優勝は、ブラジルの Valmir Nunes でした。女子の競技も素晴らしく、アメリカの Ann Trason が 7時間47秒 の「女子世界新」を記録しました。
 その後で、安倍友恵のサロマ湖での 6時間33分11秒 が世界記録になります。同じサロマ湖で、砂田貴裕もまた 6時間13分33秒 という世界記録を出しています。
 
 
 
松下剛大さん
 
 STUW は、新しいコースの創設と並び、観客に好まれるよう、ウルトラランニングに3つの距離を加えます。まず、1991年に 10×10km リレー をプログラムに加えます。それにすぐ Lutje RUN(2009年から1K Runaway) が続きます。2002年から2006年までは、マラソンのタイトルも争われました。そして5年前に「真の」ウルトラ距離へのステップとして一般に見られている 50km が導入されました。
 これらが注目されないはずはなく、この大きな国際的スポーツイベントは、もう何度も賞を獲得しています。この中で、ワールドカップとヨーロッパチャンピオンシップ開催に対して、2007年にIAU から授与された賞は、それ自体が多くを語っています。
 
 その年、ヴィンスホーテンで 100km のワールドカップ、ワールドマスターズ、ヨーロッパチャンピオンシップが開催されましたが、ワールドカップの二つのタイトルは日本の選手が獲得しました。男子では渡邊真一が 6時間23分21秒 で優勝。女子は櫻井教美が、7時間27秒 の、コースでの新記録で優勝しました。ちなみに、この「RUN」で優勝した最初の日本人は、2004年に 2時間59分39秒 でマラソンで優勝した能勢弘道です。
 
2007年の優勝者たち

 
 

 渡邊真一さん
 
櫻井教美さん
 
 この第36回大会のチーム競技では、男女共に日本チームが優勝候補に挙がっています。男子は特にイタリア、ロシア、アメリカとの戦い、女子はアメリカ、ロシア、ドイツとの戦いになると見られています。
 
 オランダからも、とても良いニュースが入っています。マラソンで何度かオランダチャンピオンシップを獲得している Luc Krotwaar が、ヴィンスホーテンの RUN の 50km に届け出たと、8月23日に報道されています。
 Krotwaar がウルトラランニング、特に 100km に情熱を抱いていることは、もう長い間知られていますが、今の時点で、彼はまだその距離への用意は出来ていません。半分の距離を走ることが、その距離とウルトラランニングの世界自体の経験を得る機会を与えます。彼自身が9月10日の目的について、はっきりと語っています。「経験を積むこと。気持ち良く走ること。マラソンを超える距離がどのように感じられるか知ること。」
 彼と一緒に Oskar de Kuijer も RUN にやって来ます。2009年、Krotwaar はマラソンで 2時間26分57秒、同年のその少し後 De Kuijer もアムステルダムのマラソンで、2時間26分57秒 の同タイムを記録しています。
 ベルギーからの Marc Papanikitas と共に、Luc Krotwaar と Oskar de Kuijer は、ヴィンスホーテンで素晴らしい戦いを見せてくれることでしょう。ロシアの Andrey Ivanov の持つ 50km のコース での記録、3時間6分35秒 を超える挑戦が期待されます。
 
 
 
*ここに掲載した2007年 RUN の写真は、Meijco van Velzen さんから送っていただいたものです。
 
  もっと写真を見たい方は、Meijco さんのサイトへ:
        http://www.meijco.nl/runwinschoten2007.htm
 
 
*RUN Winschoten の公式サイト(英語も)へは: http://www.runwinschoten.nl/
 
 
Run Winschoten 2011 レポート 
 
 
 



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