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「言挙げ」の国と「論理的」の国
 
 日本では「言葉に出して言い立てること」を「言挙げ」といい、よくない態度と考えられています。『万葉集』の中にも「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」とあり、「言挙げ」しないことが美徳とされてきました。それはおそらく、言葉には言霊(霊的な力)が宿っており、良い言葉を発すればよいことが起こり、悪い言葉を発すれば悪いことが起こるというように、声に出した言葉は現実に何らかの影響を与えると信じられていたことからきているように思われます。
 
 又ある状況ではある言葉(忌み言葉)は使わないように。例えば結婚式のスピーチでは「別れる、離れる、帰る … 」、新居や開店のお祝いでは「焼ける、傾く… 」のような言葉は避けるのがマナーと考えられています。外国人にも分かりやすい例として、ホテルや病院の部屋番号に4や9を使わないことがよくあります。これは4(shi = 死)、9(ku = 苦)の音が不吉に思えるからです。
 
 では、他者と言葉に出して対決することを「言挙げ」として避ける価値観では、どのようにコミュニケーションするのでしょうか。
 NOという代わりに、相手がそれを察するように、いろいろな説明をし、又相手に気まずい思いをさせないため、相手がNOと言わざるを得ないような状況を作らないよう気遣います。
 何かを提案する時は、それに関して相手がどのような考えでいるかまず探り、自分の考えと調整し、これなら相手も受け入れるだろうというあたりを提案します。議論の前に「根まわし」がされ、会議はほとんど提案されたことを承認するだけということになりがちなのも、このコミュニケーションの方法が使われているからではないでしょうか。
 
 ここでは「logisch(論理的)」という言葉が、「よく理解できる」とか「当然」という意味で生活の中で良く使われています。又、家庭では「相手の言うことに賛成でなければ、NOと言わないといけない。そうでないと相手に同意したと思われる。」と教えられます。正当に主張すること(assertiveであること)が、とても大切な価値とされています。
 
 自分の思いついたことを提案するイニシアティブが、ここでは大変評価されます。その提案に対して他の人が様々な意見を出し、練られていきます。その過程で内容を変更していくのは当然です。
 日本で何か提案がされる場合は、根まわしによってある程練られてからではないでしょうか。その提案が根まわし済みのグループの考えであれば、議論による内容の変更はとても難しいことが想像できます。
 
 このことは、一対一の関係でも言うことが出来ます。
 「根まわし」に慣れている人と「イニシアティブ」に慣れている人との間のコミュニケーションは、噛み合わなくなる場合がよくあります。一方では「個人的な」提案を「相手を全く考慮しないもの」であると感じ、他方では「相手を考慮した」提案を「変更不能の傲慢な押し付け」と感じます。
 
 普段の生活の中でも「言挙げ」と「論理的」の文化の違いによって、困難が生じます。どちらが良いかという問題ではないのですが、コミュニケーション不能に陥ってしまいます。
 このギャップを埋めることは「アウゲイアースの家畜小屋掃除」と同じくらい難しいと思われます。どのようにすれば、まず自分の頭の中の混乱を掃除し、双方に文化の違いをはっきりさせることが出来るのでしょうか。
 
 
 



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