Trankiel  Groningen - Japan
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  すみません
 
 それは、元高校の歴史の先生で著作家のヤ―プ・ボテマ氏の講演の時のことです。その日、トランキールで既に紹介している彼の最新作『デルフザイル―フランス時代のスケッチ(1795-1814)』(2004年10月初版)についての講演会が、デルフザイル図書館で開かれていました。ボテマ氏は、彼が実行した探偵のような仕事や、それが生み出した興味深いいくつかの事実について、魅力的に話しました。
 小休憩の後、講演の第二部が始まろうとしている時、ヒラルドが少し遅れて戻ってきました。急いで席に戻るため、ボテマ氏が座っているテーブルの前を通り、講演が始まるのを妨げたと感じて「ソーリー」と言いました。ボテマ氏はそれに、間髪を入れず「ソーリー・カルチャーだね?」とおっしゃいました。
 
 すぐに、これは私に関わっていることだと思いました。日本人はよく謝る人たちとして知られているのではないでしょうか。このように思ったのも、もう一つの日本の文化からかもしれません。話された、あるいは書かれた言葉から、今何を意味しているのだろうかと、推察します。無意識に、です。推測してはっきりしないより、ボテマ氏にその意味を尋ねるべきだったのでしょうか。
 日本人は、とてもよく「すみません」と言う...と考え始めました。店に入って店員を呼ぶ時、誰かに何かを頂いた時。ヒラルドがその時感じたように、謝らなくてはと思う時。
 
 『あいまい語辞典』(芳賀綏・佐々木瑞枝・門倉正美 著 東京堂出版)には、この言葉について次のように書かれています。「終わらない」という意味の「すみません」から来ていて、「恩を受けた」ことへの「感謝」と「恩返しができない」ことへの「謝罪」の両方の意味が生じる(R.ベネディクト『菊と刀』の解釈)。「(気が)澄みません」つまり「心が安らかでない(気持ちの上で満足しない)」から来ている(柳田国男『毎日の言葉』)。又、英語にも「I am sorry to disturb you. And thank you.」という言い方があることも書かれています。
 ロンドンで「Excuse me.」や「Pardon me.」をよく耳にしたのを思い出しました。イギリスの文化にも同じようなものを見出すことが出来るのなら、日本(あるいはアジア?)に特有のものではないのかもしれません。
 

ペーパーブック
『the Chrysanthemum
and the Sword』
その日本語訳『菊と刀』 あいまい語辞典
 
 自分自身のことを考えてみます。感謝の意味で、全く問題なく自然に「すみません」と言います。その一方、何かをすぐにお返しできない時心苦しさを感じ、同じ言葉を使います。子供の頃から人に迷惑をかけないよう教わってきたので、何かをする前に他の人の迷惑にならないかどうかをとても気にします。誰かを呼ぶ時も、自分のためにわずらわせると無意識で感じているのだと思います。
 
 又、日本人は何かを人にあげる時によく「つまらないものですが、どうぞ。」と言います。それをあげたことで、相手に心苦しく思わせないように。お返ししなければならないようなものではないことを、相手にはっきりとさせるために。
 
 このような目に見えないマナーの違いは、握手やお辞儀、キス等の目に見えるものと比べて、理解するのがとても難しく、私達は容易に「猫と犬」のようにお互いを誤解してしまいます。
 
お米もお辞儀しています
 
 
 



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