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Biebel(聖書:フローニンゲン語)
 
「初めに、神が天と地を創造した。
 地は形がなく、何もなかった。
 やみが大いなる水の上にあり、
 神の霊は水の上を動いていた ..... 」
 
 
... 神はその第7日目を祝福し、この日を聖であ
るとされた。それは、その日に、神がなさってい
たすべての創造のわざを休まれたからである。」
 
 最近出版されたフローニンゲン語訳の聖書について、フローニンゲンの人たちと話せば、たくさんの人たちがこれをとても歓迎していることが分かります。それは信者たちだけでなく、信仰が生活の中で取り立てて言うほどの役割を持っていない人たちの間でも、です。
 この翻訳はとても自分に近く感じられ、読む人を感動させる、と話しています。そして信仰者たちは、オランダ語で聖書を読み説教を聞いていた時より神の世界が心に訴えてくる、と語ります。
 豊かで多様なフローニンゲン語を愛する人々にとって、それはまさにフローニンゲン語の世界を豊かにするものです。編纂者たちは多くの感慨を込め、フローニンゲンの地に存在する様々な方言を使いました。それはいろいろな点で興味深い結束です。
 
 それらの意見すべてが、幅が広く勢いのある二重母音を持つフローニンゲン語を、広く知らせています。それは讃美歌にも、より世俗的な歌詞にもよく合った、とても表現に富む言語です。.... フローニンゲン語の子守唄を聴いたことのある人はおそらく、その美しさに頷くことでしょう。その言語は又、戯曲のようなものにもとてもよく合っています。そのために作られた言葉のようです!
 その語源は、フリースラント語とザクセン語に求められますが、後には泥炭採掘や航海によるドイツ語や英語の影響が加わっています。
 コルネーリス・テ・ラーンによって作られた新しいフローニンゲン語の辞書を手にする人は、予期しなかったフローニンゲン語の豊かさに驚きます。このスロホテレン生れの「Grunnerger Sproak(フローニンゲンの言葉)」の指導者は、数多くの作品を書き、今でも、その生誕の村やフローニンゲン州で大変尊敬されています。1985年から毎年、K・テ・ラーン賞が「フローニンゲンの本協会」により、フローニンゲンの言語や文化の分野で貢献した個人や団体に授与されています。
 
 この威信ある賞が「Biebel」の編纂者たちに授与されたことは、全く不思議ではありません。審査団は「Biebel in goud en geef Grunnegers(確かで良いフローニンゲン語に訳された聖書)」という途轍もないものが生み出されたと特筆しました。翻訳者たちは、その聖書を「時間を耐えぬくことができる、フローニンゲン語の読みやすい散文や詩歌」の中に入れることに成功しています。
 それは本当に信じられないような仕事で、リウドゥハー協会の人たちが自分たちの責任のもとに、ボランティアの人たちの何千時間もの作業によって完成されました。およそ60人のボランティアが「フローニンゲンの人はそれをどう言うだろうか」という同じ出発点に立ち協力しました。
 既に1973年に最初の試みが始められ、1988年に聖書のサムエル記第1とルカによる福音書が翻訳出版されました。その後、翻訳はスピード・アップされました。初期のボランティアの人たちが亡くなったりしたこともその理由です。翻訳者たちが最終的な結果を見ずに亡くなることを避けなければならない、と考えたからです。しかし焦ることなくということは、オランダ語からではなく、旧約聖書はアラム語とヘブライ語の原書から、新約聖書はギリシャ語の原書から訳した、ということから明らかでしょう。
 
 2008年10月25日土曜日のことです。マルティニ教会で800名の出席者が見守る中「Biebel」が公式にプレゼンテーションされ、リウドゥハー協会の翻訳コーディネーター、マルテン・ファン・ダイケン氏から、レークの元市長、シーピー・デ・ヨング氏とフローニンゲン州文化部代表のdrs.(修士課程修了者)ハンス・ヘリツェン氏に初本が渡されます。マルテン・ファン・ダイケン氏はスピーチの中で、通ってきた長い道のりと、同時に喜びの体験を語り、「そして私たち自身、とても多くのものを得ました。」と加えます。
 次に、リウドゥハー協会の会長drs.エンゲル・ヤン・ストラウフ氏が「Biebel」を本棚に置くだけでなく度々手に取ってもらうことを心から望んでいる、と話します。「読み上げてください。それを聞かせてください。」
 そのプレゼンテーションで、さらにヴァウト・ファン・ベックム教授とアネ・ファン・デル・メイデン教授が、「方言への翻訳」について話しました。
 「Biebel」の出版は、様々に祝われました。フローニンゲン市のリーマー・エン・ヴァーリンハ書店でも、独自の祝出版の催しが行われました。
 それらに続いて、11月1日には「方言の聖書」についてのシンポジウムが行われることになっています。
 
 どのようにして聖書の全体を、外典の付記も一緒に、フローニンゲン語に翻訳するという考えを抱いたのか、という問いがまだ残されています。2008年9月26日のダハブラット・ファン・ヘット・ノーデンに載った記事には、次のように書かれています。
 「フローニンゲン語の聖書が必要とされたのは、そのころの「フローニンゲンの礼拝」と呼ばれた、方言での礼拝に起因しています。今毎年平均60のフローニンゲン語による礼拝が開催されており、それはアムステルダムでも行われています。
 前世紀初め、フローニンゲンの礼拝への出席者の中には、聖書の方言への翻訳に賛成しない人たちがいました。彼らはそれを不遜なことだと考えていました。しかし今日ではそのような見方はなくなり、「聖書の福音は、自身の言葉によって、より身近になる」という考えが優位を占めています。」
 
 このような礼拝が行われていることが、ヘーレンフェーンの出版社、ヨングブルットによる初版3000部が、その公式プレゼンテーションの前に既に売り切れになったことの理由なのかもしれません。
 
 
 
ファームスム教会内の写真:©ヨハネス・ドールンボス
 
 
>>フローニンゲン語の詩歌と賛美歌
 
>>リウドゥハー(英語)
 
 



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