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『詩歌と賛美歌』のプレゼンテーション

ロペスムのペトルス & パウルス教会で
 
 2010年11月27日土曜日、まず雪が降り、凍った霧が木々の枝を魅惑的な装いにします。今日13世紀からの Petrus en Pauluskerk(ペトルス・エン・パウルス教会)に徒歩で到着した人たちも、特別に暖かな装いです。大きな塔のある教会の前の駐車場では、車で来た人たちが最後の空いている場所を探しています。少し後に来た人たちは周りの路上に駐車します。中世の初期に商業のヴィーとして生まれた Loppersum(ロペスム)の中心街は込み合っています。人々はこの冬の午後、ユニークな『Psaalms & Gezangen(詩歌と賛美歌)』のプレゼンテーションに出席するためにやって来ています。
 
 Liudgerstichten(リウドゥハー協会)が発行する Nijsberichten(ナイスベリヒテン:ニュース誌)の11月号で、beriemenskemizzie(ベリーメンスケミシー:押韻委員会)の会長、Niekerk(ニーケルク)の Klaas Pieterman(クラース・ピーテマン)牧師は話しています。「教会のミサでフローニンゲン語のこの歌集から多くを使いますし、家でも歌われることでしょう。その本はその韻や押韻構成などで、言葉の愛好者の心も捉えることでしょう。」彼は又、それがどのように作られたかについても知らせます。韻の作成者たちがよく何度も歌っていたということ。賛美歌はたいていメロディーもよく知られているので問題はなかったが、詩歌の方は大変だったこと。その委員会の集まりに、いつもリコーダー持って行ったこと。そして今、「何節かをリコーダーで試みた後、いつもメロディーを得ることが出来ました。」と話します。
 このニュース誌には、押韻委員会で何が行われているかについて多く載せられており、そこここにフルナハー(フローニンゲンの地の人)の素晴らしさが表されています。例えば、会計委員 Eddy Visser(エディ・フィセル)のレポート。フローニンゲン語で「verslag van sinterij(会計報告)」と呼ばれるものです。Zevenhuizen(ゼーヴェンハウゼン)での集まりで、フィセル氏は助成金の申請をしたことを皆に知らせます。これに必要な金額は25,000ユーロと見積もられるけれど、それはやって来るだろう、と。フルナハーの特徴をよく表しているのは、その結びの言葉「Wie heuren wel van de brand as t zo wied is.(火事が起こったら、それを聞くだろう:フローニンゲンの諺〈注〉」です。
 あるいは、会長が協力者や参加者への感謝の言葉でそのミーティングを終えた後、続いて皆を「ちょっと一杯(ジェネヴァを一口)とサンドイッチ」に招待するやり方に、表れています。とてもいい感じです!
 

 教会の中に用意された席は、そのうちにほとんど満席になりました。時計が2時半を少しまわってから、短い紹介の後、K ter Laan賞(ケー・テ・ラーン賞)受賞者でもある リウドゥハー協会の会長の Engel jan Struif(エンゲル・ヤン・ストラウフ)牧師が話し始めます。彼の心からの言葉が、素晴らしい真珠を繋げたような午後の始まりを告げます。それぞれのスピーチは短く簡潔です。どこにも余分な言葉はありません。「t Is ja op zien Grunnegs!(それがフローニンゲンのやり方です!)」そこには又、とても素晴らしい音楽、とりわけ Pieter Pilon(ピーテ・ピロン)による古いヒンツオルガンの即興演奏と、Elisabeth Vink(エリサベト・フィンク)、Jan Martens(ヤン・マルテンス)、Henk de Vries(ヘンク・デ・フリース)指揮の Riepster Cantorij(リープステ・カントライ)による歌があります。合唱と、Janka Rubingh(ヤンカ・ルビン)、Jan Siebo Uffen(ヤン・シーボ・ウフェン)、Reinder Willem Hiemstra(ラインデ・ヴィレム・ヒームストラ)、Aly Freije(アリィ・フライヤ)による朗読が、交互に行われます。詩篇の詩歌は、Greetje Marquering(フレーチェ・マルクァリング)と Tonnis Musschenga(トニス・ムスヒェンハ)によって読まれます。
 詩人たち自身によって読み上げられた作品については、歌の本にと一緒に出版された詩集『Dichter bie Psaalms(詩篇により近く)』の中に集められていると言えます。これは、歌の本と比べると発行部数が限られていました。残念に感じたのは、この詩集に載せられた宝石がきっとより多くの人たちを惹きつけると思えたからです。
 
 
 興味深いプログラムのおよそ半ばで、ピーテマン牧師は『詩歌と賛美歌』の最初の冊を、押韻委員会の初期からのメンバーの一人、Henk Baas(ヘンク・バース)に手渡します。彼は、その歌の本と一緒に、出席者たちの長く続く温かな拍手を受け取ります。
 これが当然であることを示すためには、フローニンゲン州の Culturele raad(文化評議会)によって押韻委員会が設立された、1959年に遡らなければなりません。会長には、1983年に亡くなった詩人で散文作家の Jan Boer(ヤン・ブーア)がなりました。ヘンク・バースは書記になり、全期間それを続けました。最初の委員会のメンバーには、作家の Jo Bolhuis(ヨー・ボルハウス:†2003)、神学者で歴史学者の Ite Hamming(イテ・ハミング:†1975)、作詞家で詩集『Klienkralen(クリーンクラーレン)』の編纂者の Kornelis Mulder(コルネーリス・ムルデル:†1978)、著作家で詩人の Jan S. Niehoff(ヤン・S・ニーホフ)、言語学の教授 Albert Sassen(アルベルト・サセン)博士と、詩作も行っていた Elisabeth Vinhuizen(エリサベト・フィンハウゼン:†1987)がいます。2004年に亡くなった Donald F. Faber(ドーナルド・F・ファーベル)も、そのメンバーでした。ヤン・ニーホフとアルベルト・サセン博士は、自身の仕事の忙しさのため、その委員会を去らざるを得ませんでした。彼らの後継者から、同様の敬意をもって、1988年に亡くなった Bernhard Röben(ベルンハルト・ロウベン)司教、1997年に亡くなった Foppe Offeringa(フォペ・オフェリンハ)の名前が挙げられます。
 

クラース・ピーテルマン牧師(向かって左)とヘンク・バース氏

 最近は、ヘンク・バース、フレーチェ・マルクァリング、トニス・ムスヒェンハと現在の会長クラース・ピーテマン牧師が、押韻委員会を構成していました。最初は Stichting Grunneger Toal(フローニンゲン語協会)に委ねられていましたが、後に、聖書のフローニンゲン語訳で有名になったリウドゥハー協会の一部になりました。その時、韻を踏んだ詩歌をヘブライ語からフローニンゲン語に訳するための別の委員会が設立されました。
 準備のできたそれぞれの詩歌は押韻委員会に渡され、そこで詩歌のテキストが押韻詩にされます。その方法によって、韻を踏んだ詩歌は、韻を持たない訳と同じ語彙と同じ比喩的表現を、部分的に共有しています。
 
 この「フローニンゲン語」訳の完了は、(詩篇の)詩歌と賛美歌の長い歴史に新しい章を加えました。その歴史は16世紀にストラスブール(フランス)とジュネーブ(スイス)で、ジャン・カルヴィン、詩人クレマン・マロやテオドール・ド・ベーズ、作曲家ルイ・ブルジョワという偉大な名前と共に始まりました。それらは当時民衆の言葉であったフランス語で書かれ、多くの訳がそれに続きました。そして今、多くの人たちの大きな努力のお陰で、フローニンゲン語の出版が付け加えられました。
 プレゼンテーションの終わりに、クラース・ピーテマン牧師が歌の本『詩歌と賛美歌』と詩集『詩篇により近く』が今から教会の中で入手できることを知らせます。そしてすぐに、人々がこれをどんなに楽しみにしていたかが分かります。たちまち販売コーナーに人々が集まります。そしてそれは、一人ずつで並んでいるのではありません。時々テーブル越しに5人が同時に本を求めます。販売している若者が、誰の番か分からない、と言い訳します。少し後に詩集『詩篇により近く』は売り切れました!
 

歌集を求める多くの人たち
詩集はたちまち
完売しました

 家に向かう電車の中で、もう一度クラース・ピーテマン牧師の言葉を読み、今持ち帰っているものが、どんなに大きな文化的財産であるかを理解します。この歌集には、ジュネーブ詩篇歌の150篇の他に356の賛美歌も含まれています。教会の聖歌集からその大部分、1938年の改革派歌集とオランダ・プロテスタント連合の歌集からいくつかが採られています。又、礼拝のための聖歌や「Tussentijds(ツッセンタイツ:歌集名)」から採った、より新しい時代のものもいくつか載せられています。それらのほとんどは、何世紀もオランダで大切にされてきたものやイギリスやドイツからの遺産で、古い時代のものです。それらは、普通の礼拝時のためや、洗礼や夕食会のような教会の儀式のために、書かれたものです。
 牧師はその説明を「編纂者や押韻者たちは、それらが歌われることを願っていますが、詩として読まれることも出来ます。」と結んでいます。
 
 
〈注〉



資金のことはさておき、まず取り掛かり、資金が必要になることを火事が起こるのと同様にみなしています。「必要になった時に考えればよい、何とか出来る」という自分たちのしていることへの自信ともみられます。オーセンティックなフルナハー(フローニンゲンの地の人)の考えは「おしゃべりより行動」です。
 
 
歌集Psaalms & Gezangen - Liudgerstichten
Jongbloed
出版、 Heerenveen ©
ISBN 978-90-6539-345-6  NUR 709

 
 
『詩歌と賛美歌』プレゼンテーション 写真のページ
 
 フローニンゲン語の(詩篇の)詩歌と賛美歌
 
 
 



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