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ギャラリー Wiek ⅩⅩ - BAD NIEUWESCHANS -

「フィギュラティヴ・アートはとても私たちの興味をそそります」

 2007年、ギャラリー・Wiek(ヴィーク)ⅩⅩの30周年にあたり、ダハブラット・ファン・ヘット・ノーデンは、当時ギャラリーの女主人ヘンリエッテ・ムルダーへの幅広いインタビューを行ったイラント・ピーテルスマの記事を載せました。2年前のインタビューですが、『トランキール』が「フジ・アート協会を求めて」の中で紹介したギャラリー・ヴィークⅩⅩについての記事を補完するものとして、以下に掲載します。

彫刻の庭園
ヴィークⅩⅩ
『提灯を持つマヤ』(2008)
フリップ・ハーセンダム


ヴィークⅩⅩ 創立30周年 の インタビュー

 ニーウェスハンス - 2000年、ヘンリエッテ・ムルダーさんとフランス・ブールスマ氏がフローニンゲン市の中心からニーウェスハンスに移った時、フローニンゲンの美術界はこぞってバカな考えだと言いました。そこ、オランダの縁に、ヴィークⅩⅩは新しい相応しい場所を見つけました。
 「フローニンゲン市では、駐車の問題と闘っていました。市外からの顧客は、市の中心に車で乗り入れるのを厄介に思っていました。さらに、私たちのトイレにジャンキーたちが入ってくるまで、地区が貧しくなっていました。」と、ムルダーさんは当時の驚きの移転を説明します。
 「ここニーウェスハンスでは、人々がちょうど芸術や文化を奨励していた時でした。私たちは新しくドイツの顧客を開拓することが出来ました。そして常連の顧客は、フローニンゲン市より少し遠くまで車で来ることを全く問題にしないということも分かりました。」
 だから、ニーウェスハンス。そこで、オランダ北部の古くからのギャラリーの一つであるヴィークⅩⅩは、来週からその創立30周年を祝います。ヴィークⅩⅩは今、元の兵舎の中に設立されています。美術館のような体裁の建物で、そこではいつも、フィギュラティブな彫刻や絵画を組み合わせた展示が提供されています。
 ヴィークⅩⅩは1977年に、ヒールケ・デ・フリースによって創立されました。2年後、ヘンリエッテは当時のパートナーをギャラリーで援けるために、図書館員としての彼女の仕事を辞めました。「その仕事は、たちまち私を魅了しました。」
 最初彼らは、外国の芸術家のフィギュラティブな作品やアブストラクトな作品に集中していました。80年代の初めからは、ヴィークⅩⅩは主に、特にリアリズム芸術で知られたアカデミー・ミネルヴァの先生たちのギャラリーになりました。
 「それ以来、私たちはフィギュラティブ・アートだけを扱っています。その作品はとても興味をそそるものです。そんな個人的な好みが大切です。ギャラリーはそれによって、予想以上の成果を得ています。あなたは日々アートに取り囲まれています。そしてあなたが他の人々を夢中にさせたいと思うなら、あなたのアートのすぐ傍にいなければなりません。」
 とても大事なことは又、芸術家たちとの関係です。幾人かは最初の年からギャラリーと結びつきがあります。彫刻家のエディ・ロース、画家のエドヴィン・アーフェスやフリップ・ハーセンダムなどで、彼等は2年ごとにヴィークⅩⅩで展覧会を開いています。
 又、ムルダーさんとブールスマ氏はプロジェクト『6 kwadraat(平方)』で若い才能に投資もしています。「これにより、6人の卒業したての芸術家が10年間、私たちのところで毎年展示を行うスペースを得ています。彼らに自身を発達させる可能性を提供するのと同時に、ギャラリーの芸術家の蓄積を新しいものにしています。」
 「最近フィギュラティヴ・アートに対する関心が高まってきていますが、それは長い間社会的に受け入れられないできました。人はかつては見下して『現実の絵』と呼んでいました。」とムルダーさんはため息をつきながら話します。「しかし私たちは正に『創造的アート』を求めました。それらは現実を見て制作されたかもしれませんが、よく構成されてもいます。フィギュラティブ・アートを選んでいることで、限定されているように思われるかもしれませんが、とても細密に描かれた絵画から自由な印象主義の作品まで、かなり多様です。」

 そのギャラリーの名前について更に、ポーランドの芸術家を回想する見出しの、本文とは分かれた囲み記事が書かれています。

 ヴィークⅩⅩは1977年にヒールケ・デ・フリース氏により、フローニンゲン市のボーターリンゲ通りに設立されました。ギャラリーの名前は、最初の展覧会に出品された作品名から取られています。ポーランドの芸術家が、世界は21世紀に到達するだろうか、と自身に問いかけました。ポーランド語で『wiek ⅩⅩⅠ』。それが『Wiek ⅩⅩ(20世紀)』という名前の起源となりました。
 1979年、デ・フリース氏によりヘンリエッテ・ムルダーさんが加えられました。1984年、ギャラリーはフローニンゲン市のコーレン通りに移転しました。そして1993年、ヒールケ・デ・フリース氏が亡くなります。
 ムルダーさんは1996年に医師のフランス・ブールスマ氏と再婚し、彼らは1998年、ブロネハー(ドレンテ州)に彫刻公園をオープンします。
 2000年、ヴィークⅩⅩはニーウェスハンスの古い牧師館に移りました。2年後、元兵舎であったところに落ち着くことになり、彫刻公園は中止されました。2004年、ヴィークⅩⅩはその兵舎の中にオープンしました。その時、ブールスマ-ムルダー夫妻は彼らのアート・コレクションをドレンツ美術館に遺産として残すということも、明らかにされました。


>>ギャラリーWiek ⅩⅩで最後の『グランド・フィナーレ』展

>>ギャラリー Wiek ⅩⅩ訪問-写真集

>>フジ・アート協会を求めて



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