Trankiel  Groningen - Japan
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 ようこそ むかし へ オランダ の 日本人 フローニンゲン と 日本 文化のちがい 日本 フローニンゲン  

アベル・タスマン

ヘリット・
ヴァッシング


テイジン・アラミド

キッコーマン

キスマケミカルズ

デラミン

シートレイド -
北日本造船


フローニンゲン
大学 - 大阪大学


日本研究センター

はじめに
 
 フローニンゲンから日本を最初に訪れたのは、ルチェハスト生れのアベル・ヤンスゾーン・タスマンです。
 オランダ東インド会社(VOC)が、ゼーハーン号とヘームスケルク号に見知らぬ南の島を探検させた時、彼は司令官として乗船します。タスマンはこの旅行中、その明細な記録を作らせています。2006年にオランダ国立文書館の主導で、この17世紀の航海日誌が今のオランダ語で出版されました。
 
 又既に1849年、『ルチェハストのアベル・ヤンスゾーン・タスマンの旅と探検旅行』がオランダ教員団体のフローニンゲン州委員会により作られ、20世紀の初めに現代語表記で再出版されています。
 その本に書かれた日本とオランダに関わる部分を、トランキールに少しずつ載せていきます。
右:20世紀初めに再版された上記の本
 
           >>抄訳を読む
 
 
>>アベル・タスマン生誕の地、ルチェハスト及び、アベル・タスマン資料館については、ここをクリックしてください。
 
 
 

言葉少なく
 
フローニンゲン州は
オランダの北にあり、
ワッデン海に面している。

そこに住む人々は
言葉数が少ないことで
よく知られている。

つまり彼らは
生まれながらにして
日本の俳句のセンスを
持っている、
すぐにはそれと
気がつかないけれど。

というのは、
俳句も言葉数が
あまり多くないのだ。

『ヘリット・ワッシングによる 
      フローニンゲン語俳句  翻訳 中沢陵子』
(出版社:スタールブック・フェーンダム 2007年発行)
 
>>ヘリット・ヴァシング
 
 

テイジン・アラミド社
 

 
(ISBN 9789081193917)
 テイジン・トワロン社のチーフ・エグゼクティブ・オフィサー、エイソ・アルベルダ・ファン・エイケンスタインが書いた『Specters, smart fellows & strategies – The feats & power stories of Twaron』(英語とオランダ語の両方で書かれた本)の序文は、「読んでわくわくする本です。」という言葉で始まります。読者として、彼のその言葉に全く同感です。
 
 この出版についての発表で、彼らが経験した数多くの‘いい時’や‘悪い時’のことが本の中に書かれていることが話されました。1977年に始まり終結まで11年かかった特許に関わる係争も経験しています。又職場の予期せぬ出来事や働き者たちにも十分注意が払われています。
 たくさんの物語が多くの写真と一緒に載せられている、今まで出版されたことのないようなとてもユニークな本で、トワロン製のしおり紐がつけられています。
 
 2007年9月に、会社名の中にあった‘トワロン’が‘アラミド’に変えられました。その理由は、新しい名前「テイジン・アラミド」が、アラミド製品の生産を拡大発展させようとしている社の現今をより良く示すからでした。
 
 デルフザイルの歴史は、ケミパークの中にありその分野での市場リーダーに成長したこの会社と、密接に絡み合っています。毎年の‘ピンクステレンのフェスティバル(聖霊降臨祭)’や、数日間にわたるセイルイベント‘DelfSail(デルフセイル)’へのこの社の関わり方も又、特筆することが出来ます。
 
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>>テイジン・アラミド(英語)
 
 
 

キッコーマン・フーズ・ヨーロッパ社 - サッペメア
 
 サッペメアの名前は、フローニンゲン市東方での泥炭地の開発と、強く結び付いています。1621年、まず泥炭業者たちがここに住み、採取を始めました。後にここは泥炭地集落の中心地になります。
 19世紀にはしかし、近くのホーヘザントに工場が多数建設され、サッペメアを凌ぐようになりました。1949年には両村が合併して一つの自治体となっています。
 『フローニンゲンのカノン(正典)』という歴史の本の中に、そこで生れた二人の女性が取り上げられています。1854年生れのアレッタ・ヤーコブスはオランダ最初の女医でフェミニスト。もう一人、1974年生れの「長野の氷の女王」、スピードスケートのマリアンヌ・ティメルは、長野冬季オリンピック大会(1998年)で二つの金メダルを獲得しています。6年後には再び長野のスケートリンクで、オランダ女性初のスプリント世界タイトルを勝ち取りました。
 
 マリアンヌ・ティメルが日本に滞在中、日本伝統の醤油を食事に使ったかどうかは分かりませんが、もしそうだとしたら、生れ故郷にある町フォスホーレンを思い浮かべたことでしょう。その町には1997年、キッコーマン・フーズ・ヨーロッパ社の工場が設立されています。そしてその工場は10年間に従業員を倍増、生産自体を3倍(年間4000キロリットルから11,000キロリットル以上へ)にする成長を続けています。
 
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キスマケミカルズ社
 
 東フローニンゲンで豊富な塩層が見つけられたことから、90年代の終わりに、州のかつての泥炭地域にキスマケミカルズBVが設立されました。
 協和化学工業株式会社(香川県)の100%子会社で、それ以来大きく発展し、オランダ北部で最も急速な成長を続けている会社となり、2005年には威信あるトップ・ハーゼレ賞が授与されています。最近の生産能力の増強はまだ限界には達しておらず、更に前進を続けています。そして、キスマ社は約3万トンの生産で、今もういわゆる合成ハイドロサルタイトの生産では世界最大といわれています。やっと5年という期間でのこの実現については、当然並外れた大きさの業績を挙げることができます。
 もう一つの重要な事柄として、環境に対する関心があります。「地球と共生」そのように、親会社の協和化学工業代表取締役社長、松島慶三氏は表現しています。
 
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デラミン社 - ファームスム
 
 1976年、多国籍企業の二社アクゾ・ノーベルと東ソー株式会社は、北オランダ投資開発局(NOM)と一緒に合弁事業に着手します。エチレンアミンを製造するデラミン社をデルフザイルのケミーパークに設立することが決まり、2年後にその公式オープニングが行われます。その本社はアメルスフォールトに置かれました。
 1985年にはNOMの持ち株が東ソーとアクゾ・ノーベルによって買い取られ、今日まで両者がデラミン社の株を50%ずつ所有しています。エチレンアミンは、化粧品からコンクリートまで様々な製品の製造に重要なものです。その中で最近特に注目されているのは、風車の塗装での利用です。それがデラミンを今日の成長に導いたというだけでなく、今後の風車の需要を考えると、さらに大きな発展を期待することが出来ます。デラミン社はこの化学利用を「グリーン」製品への貢献として考えています。
 
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シートレイド・フローニンゲン社 - 北日本造船株式会社(八戸)
 
 2008年7月の初め、海運会社シートレイド・フローニンゲンは、日本の北日本造船株式会社への新船建造の注文を6隻から8隻に増やした、と発表しました。設計は他の6隻と同様650,000立方フィート、大きなコンテナ部分を有しています。両船は2013年から2014年初めの就航が予定されています。
 これはシートレイド・フローニンゲン社の、顧客に質の高い効率的な冷凍運搬船を提供する、という方針に基づいたもので、更なる船団の拡充を図るものです。この他にも、フェニックスタイプの船を5隻、アトランティック・リーファー(1998)、パシフィック・リーファー(1999)を買い取り、2008年4月1日にはマルティマ・デル・ノルテ社(スペイン)から7隻のリーファー船団を商取引の契約も含めて購入しています。
 
 北日本造船株式会社は、シートレイド社と同様、とても目覚しい発展を遂げている会社です。80年代にシートレイド社からアンタールティック建造の注文を受け、90年代には5隻のストリーム船建造を発注されます。そして今年又、8隻のリーファー船が注文されました。
 
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フローニンゲン大学-大阪大学
 
 「地域に生き、世界に伸びる

 
 大阪大学フローニンゲン事務所の公式オープニングは、2005年10月24日フローニンゲン大学アカデミーへバウのアウラで行われました。フローニンゲン大学ゼルニケ・キャンパスに設置され、大阪大学とフローニンゲン大学の歴史的な強い結びつきの成果と見ることができます。

 大阪大学は、数十カ国からの留学生を含む約20,000名の学生を擁するとても評価されている大学です。「地域に生き、世界に伸びる」というモットーで、国際化と教育研究の推進を開始しています。
 この考えから、海外に二つの事務所が開かれました。まず2004年サンフランシスコに、それからフローニンゲンに海外拠点が設けられました。
 
 フローニンゲン事務所は、大阪大学についての情報を提供するだけでなく、ヨーロッパの他の大学との共同プロジェクトを如何に進めていくかということもその視野に入れています。


 
   >>大阪大学フローニンゲンセンター - インタビュー
 
   >>依藤光代さん、フローニンゲンで学ぶ
 
   >>写真で見る ゼルニケ・キャンパス フローニンゲン
 
   >>写真で見る 大阪大学・吹田キャンパス
 
   >>フローニンゲン大学(英語)
 
   >>大阪大学
 
   >>大阪大学フローニンゲンセンター
 
 
 
 
日本研究センター
 
 フローニンゲン大学で設立された日本研究センターは、2006年4月6日の国際シンポジウムによって公式にオープンされました。センターの目的はテクノロジーや文化に関する情報の収集・伝達を推進することです。
 
 
   >>日本研究センターについて
 
 
 



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