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3. 異なった話


 よく知られ、又よく出版もされている説明は、次のようなものです。
 ジョルジュ・シムノンは、最近フェカンで建造されたカッター船「オストロゴト」で航行中でした。内陸水路を利用してオランダに到着した(アムステルダム - ゾイデル海 - スネーク - デルフザイル)、とこの資料で述べられています。彼はデルフザイルで「オストロゴト」に漏れ穴があり修理が必要なことを発見し、ダムステルディープに接したルールフス兄弟の造船所でしてもらった、と。


 では、他の話についてはどう考えたら良いのでしょう。シムノンが1929年にドイツの港に到着した時、そこの警察との間に悶着があった、と書かれています。ドイツの警官が彼の船を調べた時、タイプライターとメモが書かれたたくさんの紙を発見しました。当時、フランスとドイツの関係はとても緊張していたので、この「Frenchy」はスパイ行為の容疑をかけられました。直ちに彼はドイツを去らなければならず、そのため彼は最も近いオランダの港、デルフザイルへと航海しました。ここが一番近かったのだとすれば、エムデンから来たのに違いありません。


 これも又机の上にある、他のレポートを読みます。それには次のように書かれていますので、引用します。「 ...当時まだ、絵のようなデルフザイルの小さな港で。よりによってその場所で、ジョルジュ・シムノンは、彼の長さ10mのカッタ- 'オストロゴト' と共に、何もせずにいたのですから。船は、北ヨーロッパの海岸沿いと内陸水路を通る何ヶ月もの旅行の間に漏水してしまっていました。」
 ここでレポーターは、それは内陸水路だけではなく海も、と報告しています!もし実際、船が「港で何もせずにいた」のであれば、このことは、彼がダムステルディープのような内陸水路を通ってではなく、海岸からやって来たことを示唆しています。それならそれは、彼が本当にエムデンからやって来たことを意味しているのかもしれません。


 もっと混乱するのは、シムノン自身が、二度デルフザイルに来たと1966年に述べていることです。最初は1928年8月。その時デルフザイルからエムデンへと航海した、と彼は言いました。次にブレーメルハーフェンとハンブルク。それら三つもすべてドイツです。
 1929年に、と作家は述べました。もう一度デルフザイルに戻り、その時はより長く滞在しました。何故なら、「私の船が造船所に行かねばならなかったからです。」
 もし1928年が正しければ、最初のもっと小さな船「ジネット」で航海していたに違いありません。その船で彼はフランス中を旅行した、と書かれています。しかし、「ジネット」でフランス外を航海したという話は、どこにも見つけることはできませんでした。

 かなり多くの謎です!しかし、事の核心、デルフザイルでのメグレの誕生に集中することにしましょう。しばらくの間、未解決の問題はそのままにしておきましょう。
 その時、まだ若い警部は、彼の生誕の地で最初の冒険の一つを経験します。彼の生みの親は、この首尾良く解決した事件について書きます。『オランダの犯罪』です。この初期のメグレ物語は、世界中で翻訳されています。例えば遠く離れた日本でも。残念なことに、もう、―75年前にその小説は出版されました― 日本語訳は入手することは出来ません。実際、私がまだ大阪に住んでいた時その本について聞いたことがなかったことは、不思議ではありません。日本でも愛川欽也によって演じられたパリジャンの警部がここで誕生し、最初の事件の一つをここで解決したことを知ったのは、ここに来てからでした。私は驚き、入手可能な日本語訳を探しましたが、手に入れることは出来ませんでした。その後、鈴木靖三氏のおかげで『オランダの犯罪』日本語訳(都築道夫・松村喜雄共訳、雑誌『宝石』 1953年11月号)のコピーを手にすることが出来ました。




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