Trankiel  Groningen - Japan
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 メグレの誕生
      
    -足跡をたどって-



「依然として、静寂が大気を支配していた。純粋すぎるほど清らかな静寂。この土地の生活がまるで絵はがきみたいに人工的なものだとフランス人に思いこませるほどの静寂。」 



≪左:1973年、A.W.BRUNA & ZOON 社発行のオランダ語訳『オランダの犯罪』の表紙≫
 このサイトの名前は「トランキール」なので、メグレ警部についての話の冒頭に、ジョルジュ・シムノン著『オランダの犯罪』から上記を選んだことに、何の不思議もありません。
 今日のデルフザイルが、もう、ジョルジュ・シムノンがこの港町にやってきた1920年代のようには見えないことは確かです。ここも又、時代が変わりました。より国際的に。スーパーマーケットに行けば、イタリアンフードやアジアの食料品が棚に並んでいます。テリヤキ、醤油... 。魚屋では、オランダ独特のニシンの塩漬けと一緒に冷凍寿司も置かれています。多くの店々の品揃えや、そして雰囲気さえも、見慣れたものです。今はどの町どの国どこへ行ってもそんなに違いはありません。グローバリゼーション。一つの大きな村としての世界!

 それでもなお、ここは疑いなく「トランキール」と言うことができます。私自身大阪出身なので、ここが本当にトランキールであると感じるのは、全く不思議ではありません。日曜日に、自転車で10分ほどの町の商店街に行っても、そこで人に出会うことはほとんどありません。店は閉まっています。平日に通りで見かける警官さえ、非番のようです。ここの人々は、そのような人通りのない街路を「大砲を撃ってもかまわない」と表現します。


 ジョルジュ・シムノンは、その滞在中に、どんなことを経験したのでしょうか。どのように、オランダ北端に隠れたこの小さな町にやって来たのでしょうか。それから何故彼がやって来たのかも、不思議です。


 彼は本当に、以前の女友達 ― 今は地元の商船学校の教師をしているオランダ人ヴェールセマ氏と結婚し、ライクスヴェヒ31番地に住んでいるフランス人女性 ― に会うためにやって来たのでしょうか? それとも、彼女がここに住んでいたのは単なる偶然の一致で、彼はデルフザイルを、ドイツとの国境を越えるために最適な場所として選んだのでしょうか?

 残念ながら、もはやジョルジュ・シムノンに尋ねることは出来ません。ただ様々な古いレポートがここにあるだけ... 正直に言って、それらのレポートは真相を見つけ出す助けにはなりません。実際それらは、更に謎をつけ加えさえします!




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